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なぜ光カートリッジの開発を始めたのか?なぜDS Audioを立ち上げたのか?
何故光カートリッジを始めたのか。DS Audio立ち上げの理由
海外含めあらゆる場所で、なぜ私たちが光カートリッジを作りはじめたのか?なぜDS Audioは始まったのかという質問を受けますので、少し長くなりますがここにその理由を書き留めてみたいと思います。
【将来何をしたいのか】
この話をするためには、僕の大学時代まで時間を遡る必要があります。
大学時代の僕は体育会の野球部で日々野球をしているだけの学生で、将来のことについても明確なイメージもなく過ごしていました。しかし大学3年生頃にもなると周りの友人が就職活動を始め、初めて真剣に自分の将来のことを考えるようになりました。
自分は将来一体何をしたいのだろうか?初めて真剣にこの問いに向き合った結果、その時の自分が出した答えは[いつか自分が死ぬ時に、あいつが生きていて良かったなと人々に思ってもらえるような製品を創りたい]ということでした。その日から僕は、年収でもなく安定でもなく社会的な地位でもなく、多くの人々に喜んでもらえるような製品(またはサービス)を創る為に自分の人生の時間を使うと心に決めました。そしてここで定まった“ものさし”は、その後の僕の全ての価値判断の基準となりました。
では具体的に製品を創るにはどうしたら良いのか。仮に大手企業に就職した場合、自由に製品(又はサービス)を創造するような仕事を行うことが出来るのは、それなりの年齢になってからとなってしまうので早々に選択肢から除外しました。有限な時間の中でより長く創造的な仕事をしていく為には、どこかの企業で何かをするのではなく、自分で何か事業を興すしかないと思い至るようになりました。ではどのように何の事業を興すのか、大学まで野球しかやってこなかった自分はそんなことは全くわかりません。ただ事業を興すと言っても、それがそんな簡単なことではないであろうことは大学生の自分でも容易に理解出来ました。
【自己試しの公認会計士試験】
そこで自分に課したのが「1年で公認会計士試験に合格する」といったことでした。何故公認会計士試験であったかというと、アメリカに行ったら英語が必要なように、自分で事業を行うには会計は最低限理解出来る必要があり、事業を行う為の土台作りになると思ったことが一つ。また公認会計士試験は当時で8%程度の合格率であり、この程度の合格率を突破出来ない程度であれば事業を行なって人に喜ばれる製品を作るなんていう夢は到底叶えられないと思ったからです。リーマンショック、大震災、コロナショック、事業を行っていれば自分では予期出来ないようなことがよく起こります。事業を行うということは外部環境がどんなに不確実なものでも決してあきらめることなく結果を出し続ける必要があります。かたや公認会計士試験というものは外部環境の影響はなく、与えられた試験範囲の中で上位8%程度が合格するとい極めてシンプルな試験です。8%という数字を難しいとみるかどうかは人それぞれだと思いますが、事業を継続的に行って結果を出していくことの難しさはこれ以上であることは間違いありません。
こんな想いからまずは公認会計士試験を1年で合格するという課題を自らに課し、もし合格出来なければ事業を興すといった夢を追いかけることなく、どこか大手企業にでも就職しようと考え、まずは公認会計士試験を目指すことにしました。
その結果幸運にも試験に合格出来たため、監査法人に就職し2年間の実務要件を満たしたその日に辞表を提出し、夢に向かって歩み始めることとなりました。
【東芝光電式カートリッジとの出会い】
監査法人を辞めた後、父の経営するデジタルストリームに入社しました。当時の会社は光技術の受託開発業務を細々と行っている状態で、僕は会社内で何か新しいことを出来るチャンスを探していました。そこである日会社の顧問をしてくれていた山田さんにアナログレコードを聴きに来ないか?と誘われることがありました。
僕は1986年生まれの37歳でアナログレコード世代ではなく、それまで一度もアナログレコードを聴いたことはありませんでした。そんな僕に山田さんはマイケルジャクソンのスリラーをレコードで聴かせてくれました。
その音は僕にとって衝撃的なものでした。オーディオマニアではありませんでしたが、普段からMDやipodを使って日常的に音楽を楽しんできた僕にとって最先端の製品が最も音が良い製品だと思い込んでいました。しかし、その何十年も前の黒い円盤から出てきた音は自分のipodの何倍も音が良く、鳥肌が立つようなリアルさでした。
「なんなんですかこれは?!」と山田さんに聴くと、「アナログレコードは良い音でしょう。しかも光電式カートリッジというカートリッジで再生しているから音が良いんだよ」と教えてくれました。山田さんは偶然40年前に生産されていた東芝の光電式カートリッジを使用していたのでした。僕は光電式カートリッジなるものが昔にあったことを初めて知り、そのカートリッジが過去登場して、音は良かったが熱の問題もあり市場から消え去ってしまったことを知りました。
昔のカートリッジでここまで音が良いのだから、現代の技術を使って今聴いた以上の光カートリッジを創ることが出来れば、きっと自分のように衝撃を受けて喜んでくれる人がいるはずだ。その人数は何人かわからないし、もしかしたら10人以下かも知れない。ただその10人の記憶に一生刻まれる程素晴らしい製品に出来るかもしれない。これこそがずっと自分の探していたことであり、人生を賭けてやるべきことだと直感的に理解しました。そしてその翌日から光カートリッジの開発がスタートしました。
これが光カートリッジ開発のきっかけであり、DS Audioの始まりです。今考えると偶然の産物であり、もしその音に衝撃を受けなければ、もし初めて聴かせてもらったカートリッジが光電式カートリッジでなければ、今DS Audioは存在しなかったと思います。
そして、もし僕の持っている“ものさし”が年収や安定、社会的地位といったものを優先するものであれば、デジタルストリームに入ることもなかっただろうし、光カートリッジを製品化することもなかったと思います。そう考えると本質的な目標というのが最も重要なのかも知れません。
「人々に喜んでもらえるような何か新しいものを創りたい」という強い想いがあったことでDS Audioの立ち上げに至り、Creating the future of analog music(アナログの未来を創造する)というブランドコンセプトとなり、光カートリッジや偏心検出スタビライザー等の製品開発へ向かう大きな原動力となりました。
そしてこの想いは今も1mmも変わることはありません。
DS Audio代表
青柳哲秋
↓初期の頃の試作類です。